ぴくせるぶれいん ~広汎性発達障害者の日記とか~

札幌市在住の29歳の男が、自身の障害についてや活動なんかを、日記のように綴っていくブログです。

理解されにくい障害。

改めて、自分の障害に関して考えてみた。

 

‘‘広汎性(こうはんせい)発達障害

 

生まれつきの脳の微細な異常が原因と考えられている神経発達障害の一種。

 

コミュニケーション能力が弱く、独自のこだわりに強くとらわれるために社会生活が困難になりやすい特徴を持つ。‘‘

 

難しい言葉が立ち並んでいるので、簡単にいうと。

 

・相手と適度な距離を測れない。

・場の空気や相手の感情を察知できない。

・曖昧なニュアンスが理解できない。

・想像力が弱い。

・柔軟に視点を変えるのが難しい。

・感覚に敏感、または異常に鈍感。

 

これらの特徴が多数ある人の事で、かつ複雑心理検査(WAISなどの知能検査)で診断された結果、認定されるとの事。

 

字面を見ただけで「あぁ、社会不適合者のことね」なんて考えの方は、首を痛める勢いで回れ右してください。

そんな単純な問題じゃないんです。

 

私の場合はかなり軽度な分類に入るので、正直な話「健常者じゃん」と扱われることがほとんどです。

 

けれど、これがもし重度な障害であれば…

そもそも、一切他人と関わらずに孤独死してると思います。

私は、結構弱い人間です。それは自分でも理解していますから。

 

でも、私よりも障害が重い方々は、更につらい思いをしていると思います。

 

今でこそ、有名な人が「発達障害」というワードを発したからこそ、少しづつ理解が広まっています。

それでもなお「所詮は…」なんて考えの人間は減りません。

他人の心を少しでも汲もうとせず、自分だけが良ければそれでいい、自己中心的な我の強い人間は、いなくなる事はありません。

 

そういった人との軋轢を、私は腐るほど経験してきました。

そういう人に限って「お人よしですよ」アピールをしてくるものです。

 

話が陸路から空路に行くくらい脱線しましたね。

 

要は、かなり「理解されにくい」障害だと、私は考えるのです。

けれど、もう理解されたいとも思わなくなりました。

 

諦めたんです。

広い世界に理解を求めるのが。

「健常者」と「障害者」の間にいる私では、無理だろう、と。

 

活動の範囲が狭まろうと、それでいいんです。

その中で、チマチマ動きます。精一杯動きますよ。

それを悲観なんてしません。

 

お絵描きも、それ以外の活動も。

全身全霊、一生懸命生きてやりますよ。

(なんかクソ真面目な内容になってつまらないですね)